03「歯車として」

1.

 朝目覚めて頭に手をやると帽子がいなかった。
 乗せたまま寝た筈だ。キオが飛び起きるとすぐ横の床で爽汰がもくもくと朝ご飯の肉まんを食べているのが見えた。
「……何か探してる?」
 大して気にもかけてないようなやる気の無い顔で爽汰が振り向く。頷くと、何を? と返されたので、帽子を、と返そうとして、
「…………」
 果たして帽子のサポート無しで喋れるのだろうか。
 という不安が芽生えた。
「自分の口で言わないとわかんねーよ?」
 若干口の端が持ち上がっているのは何なのだろう。ひょっとして解っていて問いかけているのか。
 訝しげに爽汰を睨みつけていると、その服の影から分厚い布のような黒い切れ端が見えた。
「!」
 そんなところに。ベッドから降りて連れ戻しに向かう。ひょいと帽子が浮いた。
「自分の口で。言わないと。わかんねーよ?」
 爽汰が帽子を摘み上げキオから遠ざけた。帽子を空中で揺らし若干楽しそうにこちらを見ている。
 そうか自力で喋る訓練をされているのか、と思い至ったものの、嫌がらせを受けているようで腑に落ちない……
 取り返そうと帽子めがけて飛び掛る。上手く避けられて床に転がった。
 めげずに爽汰に向けて立ち向かうも、するりするりとかわされてしまう。
「お、お前……めちゃくちゃ運動神経悪くね……?」
 まだ歩き始めて三日目なのだからこれでも善処してるほうだ。と文句も言えない。自分の足に自分の足を絡めて盛大にこけた。
 受け身も取れない。鼻が痛い。
「大丈夫かよ」
 うつ伏せて起き上がらないキオへ向かって爽汰が言う。馬鹿にしたように鼻で笑って。
 これは爽汰も同じような不快感を味わうべきだ。
「……う……う……っ」
「おっ?」
 伏せたキオの口からくぐもった嗚咽に似た何かが零れる。なんだ帽子がなくても喋れそうだ。爽汰が「泣いた?」と一瞬ぎくりと体を強張らせたが、
「……どうてい……」
 するっと飛び出た単語に更に固まった。
「どうてい」
「ちょ、」
「帽子返してどうてい」
「やめ」
「どうてい早く帽子返せどうてい」
「やめなさいそういう言葉使っ」
「どーうーてーいー!」
「あーあーあーわかったわかったから大声出すんじゃねー!」
 爽汰がキオに向かって帽子を投げつける。ようやく顔を上げたキオは口の端を上げて先程の爽汰と同じように笑ってみせた。
「……いいか、そういう言葉は軽々しく使っちゃいけないんだ、次言ったら殴る」
「どうして」
 キオが勝ち取った帽子を頭に乗せながら問う。
「どうしても」
 爽汰はため息を吐いて片手で顔を覆った。

 何も嫌がらせをする為に帽子を取り上げたわけではない。ましてきちんと喋るように教育してやろうという親切心も爽汰にはなかった。
 頼まれたのだ。

・・・

 歌も完全に止み、周囲の生活音もほぼ聞こえなくなり、風によって外の草木が囁くだけとなった深夜。
 キオは頭上に帽子を乗せたまま、ベッドの上で丸まって寝息をたてている。
 その隣で、大丈夫これは男だいや男だとしても同じベッドで寝るのはどうだろうかでも絶対床では寝ねえぞよし無心になろう失敗したなもうちょっと高い宿で二つベッドある所選べばよかったいやあ落ち着かないしいっそなんか悪戯してやったら気も紛れるかなどうだろう、などと深夜特有の思考の渦に呑まれて爽汰が枕に顔をうずめていた。
 いや悪戯ってなんだまさかそんな――
「松田爽汰」
「うわひゃあ!」
 突然隣から聞こえた自分のフルネームに素っ頓狂な声をあげて驚いてしまった。
 わざとらしく咳込む。消えたい。
「今の声と思考はプライバシーを考慮し聞かなかったことにしておく」
「……帽子か」
 疑問系の思考は読まれるんだっけな。死にたい。枕に顔面を押し付ける。
「本体が寝てても声帯は使えるか。そりゃそうだよな。何の用だ。俺は今なら恥ずか死ねる。いっそ殺せ」
「歯車の存在意義とは」
「消えてしまいたい俺を摩り下ろす為に存在してるんじゃねえかな」
「"動かす"という役目を終えた歯車とは用済みでしかないのか」
「大丈夫だ動かなくなっても俺を殴り倒すことは出来る」
「用済みだと思うのは至近距離からしか眺めていないからである」
 爽汰の話を無視して一方的に帽子が語る。
「今見ている事象が全体図だと思うな、近寄ろうとするな、遠方を覗け」
 爽汰は枕から顔を上げキオの背を見る。
「何が言いたいんだ?」
「キオというものが自力で活動出来るよう訓練すべきである。あの歌は釣り針だ」
「釣り針……? つうかお前がやりゃいいだろ」
「私というものが意思を持ちキオというものを操作できるという事を、箱庭の連中に悟らせてはいけない」
「それはなんでだ」
「お前が知る必要は現段階では――」
「それじゃあ交渉決裂だ。訳も解らないままタダ働きさせられてたまるか」
 帽子は一度沈黙した。そして、
「私というものは"残骸"である」
 と意外にもすんなりと説明を始めて、爽汰は目を丸くした。
「本来なら意思も持たないただの肉塊、非常時のスペアとして、あと数年ガラス瓶に飾られている筈だった」
 何の残骸なのか何のスペアなのかは言う気は無さそうだ。しかしそれが意思を持ちキオと関われる設計を得ているのは何故だ。
 当たり前のように爽汰の疑問を読み取り、帽子の尻尾が揺れる。
「kioプロジェクトのリーダーが誰にも告げずに作り出した保険である。キオというものは、仕様特性上とても、脆い。それをサポート出来るのが私というものである。ただ、私というものの思考プログラムはアンドロイドとそう変わらない機械的なものであり、私というものをハッキングし掌握することはキオ本体を掌握するよりも容易である」
「えーと、あー……つまり、お前の存在を知った誰かがお前をコントローラー代わりにキオを操って悪用する可能性があるって?」
 肯定のつもりなのか、尻尾が一度揺れた。
「以前kioプロジェクトの大元であるセンバプロジェクトで裏切り者が出た。それ以来箱庭で行われる各プロジェクトにおいて、全容を知る者はそれぞれのリーダーのみ、それ以外の班員は仕事の割り当てが徹底的に行われている」
 体調管理だけやらされていたのは下っ端だから、というわけでもないのか。と爽汰は今までの生活を思い出す。そういえば何故キオの管理なんて役目についたのか、きっかけが思い出せない。楽は楽なのだが、どうしてだろう。
 腹の奥でちくりと何かが痛む。この疑問は抱いたらいけない。浮かんだ疑問を即座に沈めた。
 帽子はその疑問への答えを持ち合わせていないようで、無視して話を続ける。
「誰がまた裏切るか解らない。私というものは表向きただの帽子として人知れずサポートに」
「帽子の時点で結構無理あると思うんだけどな俺は……」
「……表向きいかがわしい情報記憶端末として」
「ああ、うん、それにしような。ところで俺がやっぱり面倒だっつってお前にキオを全投げしたらどうなる?」
 帽子はしばらく黙り、
「キオを使ってお前を磨り下ろす」
 物騒な言葉を何の抑揚も無く発した。

・・・

 むしろ脅迫なのではなかろうか。
 しかも協力しようがしまいが朝社会的に殺されかけたんですけど。
 今日一日分の食糧を買出しに来た爽汰は、ズボンに手をつっこみ猫背で大通りを歩きながら隣を見やる。
 キオが辺りをきょろきょろと見回しながら、明らかに歩き慣れていない足取りで歩いている。その頭に乗った帽子は昨日の深夜以降ずっと沈黙していて、キオをまるでサポートしなかった。
「……どうして、何も言わないの?」
 キオが指で叩いても無視。
「充電でもしてんじゃねーの」
 そう言うしかない爽汰が投げやりに呟く。
「そーいやしばらく動けないかもとか深夜に言ってたなー、お前も諦めて自分でどんどん喋って歩けよ」
「……わかった」
 一応一人でこなす意思はあるようだ。スキップしようとして足に足を引っ掛けて転んだ。
「……まず受け身の練習したほうがいいんじゃね」
 顔から地面に飛び込んで鼻血を垂らすキオに向かって、爽汰は少し不憫に思いながら言った。
「……買い物したら、どこに行くの?」
 血が垂れるのを上を向いて阻止しながらキオが訊ねる。
「どこに行きたい」
 逆に訊ね返すと、キオは唸った後「もっと人間が多い町」と答えた。
「俺この町の外はほとんど知らねえんだよなあ、地図も買おう」
 のんびり歩いていると、ふとそれは聞こえてきた。
「あ」
 歌だ。昨日と同じ歌が大通りの先から流れてきている。
 キオはふらふらとそちらへ向かって歩き出した。
 爽汰もついていく。まさかそんなに危ないものでもないだろう、という軽い気持ちと、昨夜感じた一抹の不安に後押しされて歩みを進める。
 道の一角にひとだかりが出来ていた。
 キオがどんどんと歌のするほうへ惹き寄せられていく。爽汰も追う。人ごみを掻き分けて進み、やがてその中心から碧髪と白いヘッドフォンが見えた途端、まさか、という思考を押し退けて昨日の不安が確信へ繋がった。
「おい待て! あれは……っ!」
 爽汰の制止も虚しくキオは中心へ辿り着いた。
 簡素な舞台の上に椅子ひとつ。そこに腰かけ柔らかな発音で歌う少女がひとり。
「みつけた」
 舞台の端に手をかけ、キオが頬を緩めて碧髪の少女を見上げる。
「みつかってしまいましたね」
 少女が少し寂しそうな笑みを浮かべながらキオを見下ろす。
 瞬間、コン、という簡潔な音が少女とキオの間に落ちた。
「え、」
 キオの手と舞台を縫い付けるように細い剣が突きたてられている。
 観客たちが悲鳴をあげながらざっと引いた。
 痛みに呻くキオとその光景から顔を逸らす少女の間に、つかつかと軍服の青年が現れた。
「隙だらけだ。情けない。私たちが出てくるまでも無かったのではないですか? マスター」
 軍服の青年は抑揚を完全に制御した低い声で舞台袖へ向けて喋る。呼ばれて舞台袖からひょっこりと現れたのは、キオよりも小さい……子供のような人間だった。
「保険だよ。生まれたてとはいえ一応兵器だからねー」
 それは緊迫感のまるでない間延びした声を響かせながらぽくぽくと青年の隣へ歩いてくる。顔の上半分を仮面で隠し、少年然とした体躯にだぼだぼの白衣を纏っていた。
「痛いのかな? 痛覚遮断は出来ないの?」
 必死に剣を抜こうとするキオに向かって問いかける。
「で、き……な」
「ほんとーに?」
 白衣の子供は言いながら剣をねじ込むように揺らしてみせる。神経が直に刺激を受け断ち切られ、キオは声にならない悲鳴をあげた。
「君は四人の警備員を軽く振り切って足に撃ち込まれた銃弾をものともせず走り人質を使って逃走したんだよね? そんな嘘ついても逃げる隙なんかあげないよ?」
「痛い痛いいたいやめ、やめて……!」
 脳裏で帽子に向かって助けを求める。しかし帽子はうんともすんとも言わずにただ頭に乗っかっているだけだった。
「生まれたばっかにしては粘るねー。ところで人質はどうしたのかな? 生きてるならそろそろ出てこないと、ボク共謀者として人質君もお仕置きしてやらないといけなくなっちゃう。折檻痛そうだからあんまりやりたくないんだ。出てきてくれるかなー?」
 依然キオに剣をねじ込んだまま子供が遠まきに眺めている人だかりへ叫ぶ。
 無視する訳にもいかず、爽汰は人混みを押しのけ舞台の前に歩み寄った。
「剣抜いてやってくれ。そいつどうせ逃げられないから」
「保証がないよ?」
「もし逃げたら俺を殺してくれていい」
 仮面の奥の瞳がじろりと爽汰を観察していた。居心地の悪さを感じつつここで目を逸らすわけにもいかず、爽汰はじっと睨み返した。
「ずいぶん庇うね?」
「そりゃあずっと観察してた研究対象だし、情くらい湧くだろ」
 ただの塊として情が湧かぬよう接していたのにするすると嘘が出てしまった。あの何も知らない手があまりにも痛そうだからしょうがない。
「……まあいいだろう。軍ちゃんこれ取ってあげて」
 子供に軍ちゃんと呼ばれた青年が、綺麗なフォームで剣の柄を握り、抜き取りざまに血を払い、自分の腰に下げている鞘へ納めた。
 キオがずるずると地面に崩れ落ちる。
 ここで気にかけたら共謀者になるのだろうか。
 碧髪の少女が椅子から立ち上がり、そっとキオの側へ駆け寄っていた。
「ごめんなさい……大丈夫ですか?」
 キオは涙目で呆然と少女を見て、それから爽汰を見た。
 無表情に徹する。
「観念しろ、逃げられない」
 それしか言えなかった。
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