05「針と意図は」
1.
「困ったなあ」
「酔ってんだろ」
「私の爽汰がこんなに臆病なはずがない」
「お前のじゃねーし臆病とかそういうレベルの話じゃ――」
「イエスかはいかと聞いてるんだよ。徐々に話題をずらそうとするんじゃない」
「人に説教する前に二択の意味から勉強し直してこい」
「だってどうせなら一番関係の近い者の手で開かれたいじゃないか」
「……」
「おいちょっと赤くなるなよ童貞」
「なってねーしもうやだこの人」
「大丈夫、そーた君の友達が私しかいなくてもちゃんと私が最期を看取って司法解剖までやってあげるから」
「物理的に無理だろ」
「どうかな私は天才だからな、そーちゃんの為なら頑張ってあげるよ」
「変人だからって天才騙るのやめろ屑。あと呼称を統一しろよ苛々する」
「そーたん」
「それ一番イラッとくる即やめろ」
「爽汰」
「……」
「じゃあ頼んだよ」
「……」
この人は好奇心の為に死ぬ。
自分の為に、嫌がる俺に自分の体を切り刻ませようとする。
何よりも忘れられないように。
とんでもない嫌がらせだ。
強烈な光に照らされた、なんとも神々しい処刑台に横たわる生贄。その生贄はフェイクで、傍らにメスを持って立つ俺が生贄だったりするのかもしれない。
こんなにライトで暖められているのに頭に血が回らずふらふらするし、それでも暑いんだかだからこそなのか、まだ何もしていないのに汗が伝う。
誰かドッキリ大成功ってプラカードを持って出てきてくれたらいい。わりと本気で怒るけど目の前で安堵して大泣きしてやるから誰か。早く。切っちゃうぞ。
メスをゆっくり持ち上げて当人の顔を見る。さも「そんなくだらない幻想ぶち殺してやる」と言わん真顔で視線を放ってきた。
ぶち殺された幻想から戻ってくる。
これは現実だ。
深呼吸をした。
助けて。
駄目だ助からないや。
いつも助けてくれる人がこんなことしてんだから。
逆らえない。
「……本当にいいのかよ」
……嘘だ。逆らえなくとも一時的に逃げ出すことは出来るんだ。
ここで出口へ走り出す。簡単だ。
それをしないのは。
目蓋を閉じ一度光から逃れてから、意を決した。
音。最期まで感じるのは音だという。
「今泣いたらひょっとしてバレる?」
もはや原形の無いただの塊に向かって、数時間ぶりに話しかけてみる。
「それをネタに脅迫されそうだから泣かねーよ」
もうとっくのとうに聞こえてなんかいないのかもしれない。その確立の方が遥かに高い。というか、今更だ。何もかも今更だ。
「もう脅迫されてもいいや……あのさ、」
言葉尻が震えた。ほらお前の好きな嗚咽混じりの告白だ。起きてみて強請ってみろよ。
返事など当たり前のように無い。そっと傍らに手をついて、赤い川に声以外音をたてないように、静かに沈んだ。
これが海だったら二度と浮かべないくらい深く沈んでやるのに、ここは川だからな。
とんでもない嫌がらせだ。屈してなるものか。忘れてやる忘れてやる。
目の前にあるのはただの大きな塊で、ここは歯車を回す川。
いつもそうやって自己暗示で見えないふりをしてたんだから、大丈夫だ。
深いところへ、沈めていく。沈めていた。
なのに「忘れるなんて禁則事項ですよ」と言わんばかりに釣り餌と針をばら撒いてあの人は。
自分の作ったものまで利用して嫌がらせをしてくる。
何もかも鮮明に思い出してしまった。
どうしても忘れさせないつもりだし、どうしても地面の上を自力で歩かせたいらしい。
あんたとは違うんだ。人間皆殴られて何度も立ち上がれると思ったら大間違いだ。
深夜。爽汰は寮から抜け出して実験棟に向かう。
「で、お前は一体なんなんだ」
寝ているキオに抱きかかえられた帽子へ問う。帽子はぱたりと尻尾を揺らし、キオの口を使い機械的に喋り始めた。
「……私はキオの余剰分の遺伝子の糸を使い生み出された。思考回路は糸本人とほぼ同等の存在であるが、記憶の継承だけはされなかったため、あえて言うならば偽者である」
「偽者ね」
本人だ、と言われるよりはましで、腹が立った。
「記憶は継いでないくせに俺の家やその床下に隠してあったものを知っていたのはどう説明するつもりだ」
「管理棟内にデータが隠されていた」
「いきたいだろう、と囁いたあれはただの偶然だって言うのか」
「研究者が答えを人に尋ねるのはいただけない」
「誤魔化すんじゃねえよ解剖するぞ」
感情を夜の闇で押し殺しながら、爽汰は淡々と呟いていく。
「仮に答えたとして、その問いに意味は有るのか」
帽子はひたすら機械的に、平淡という感情すら見せずに喋る。
「その答えに、後の行動への可変性は有るのか」
爽汰は押し黙り、帽子を見つめる。それを抱えるキオを見つめる。
赤い髪がベッドに流れている。赤い川が台の上を流れていた。
過去に可変性なんて無い。そして過去が変わらないならこの先も可変性なんてない。
「……お前が、生まれなければ」
抱いた感情全てを込め絞り出し、ゆっくりとしゃがみ、キオの首筋に指を当てる。案外に柔らかい頚動脈があった。
「……なら生まれなかったことにすればいい」
キオが囁く。
爽汰はしばらくそのまま動かなかった。
一思いにぶち撒けてしまえ、と右脳が叫び、その後の面倒な処理諸々はどうするつもりだばーか、と左脳が蔑み、意見が統合される様子はない。
首筋に当てた右指から伝わってくる規則正しい脈動と熱が腕から伝わり左脳に届いた。
「……偽者の手の平で転がされるのも上から道具を壊した弁償させられるのも癪だな」
爽汰はキオの首筋から指を離して静かに立ち上がった。
「逃げるのか」
「殺されたいのか?」
「あるいは」
そんなところまで似せて。
ふと湧いた苛立ちと嫌悪に任せて一発殴ってやろうかと思うのをすんでの所で堪える。
「偽者に指図されて、なんてやってらんねえよ」
来た時と同じように足音を殺して、部屋のドアをくぐる。
完全にドアが閉まってから、
「……帽子の指図じゃないよ」
目を閉じたままキオが呟いた。