07「一度だけでいい」

1.

 今日もいつも通りにすんなりと任務を終える筈だった。

 気配を森に溶け込ませることは出来ても、恒温動物である以上体温までは同化出来ない。敵を見つけたキオは木の上から首に狙いを付け刀と共に落下した。
 間一髪気付いた敵がするりと地面を転がり刀を避ける。転がりついでキオへと牽制の銃弾が放たれる、が当たりはしなかった。今回の人間は少し強いのかもしれない。久しぶりに張り合いのある戦闘にキオはほんの少し喜びを感じながら敵を追った。
 銃口が急所を的確に狙ってくる。それを木々でしのげばその間に距離を置かれて間合いから逃れられてしまう。刀で銃弾を弾いて近づくのは……刃こぼれするから極力するなと軍人に言われているので、やりたくない。帽子に弾を避けることは出来るのかと問うと、「可能ではあるが体を酷使するので長時間行えば明日に響く」とつまりは短時間ならばいけると返ってきた。
「じゃあ、お願い」
 ちりちりと電流が流れる音の錯覚がして、より一層クリアになる視界の中心に敵を捉えた。空に蓄えられた水分の臭いとその成分、木々の皺と根が這う間隔と抵抗する空気の鈍い音と足で蹴った砂利の飛ぶ速度と方向とつま先から上へ伝導していく力とが一斉にデータとして五感から脳へ集積される。刹那で集められた膨大な量のデータへ全て目を通す分時間の流れが普段よりも遅く感じる。重力が増して動きづらくなったみたいだ。ゆるやかに放たれる銃を見ながら、時間の概念とやらが少し解った気がすると思いながら、弾丸を避けるべく体を傾けた。
 酸素が焦げて切り裂かれていく音を真横で聞きながら、敵へ向けて更に一歩踏み出す。敵が僅かに動揺する気配が電波として空間に漏れる。動揺していようが銃の照準を合わせる速度が落ちないあたり、この人間は相当に訓練を積んでいるのだろう。軍人とどっちが強いかな、と頭の隅で考える。
 難なく二発目をかわして三発目を飛び越える。いよいよ敵の気配に焦りが見えた。刀の間合いに入った。今度こそ首を取るのだ、と視線を頭部へ上げる。
「あ」
 頭部装備の端から覗く髪が茶色だった。
 ミコと同じ。ミコの父親と同じ。
 回転の速くなっている頭で更に思考を巡らせてしまう。

 ……同じなのは髪の色だけだろうか。存在は。この人もみこみこかもしれないし、そのお父さんかもしれない。そんな当然の答えに辿り着かなかったなんて。この人を切ったら誰かが泣いちゃうかもしれない。まだ謝り方を覚えてないのに。そんな状態で。
 今この人のこと、
 殺したら駄目なんじゃないのか。

 そんな思考とはお構いなしに一直線に首に近付く刀を止めるべく、キオは無理矢理帽子の連携を切った。
 ――待
 帽子が若干慌てた様子を見せたのと視界が半分無くなり熱波が左目から全身に広がるのが同時だった。
「っあ、あ――!」
 あまりの熱さに刀を落とし、顔の左半分を必死に両手で覆う。涙で濡れているのかと思いきや大量の血だった。帽子の連携を切る直前、銃口が顔に向けられていたような気はする。じわじわと熱が痛みに変換されてきて、いよいよ立っていられなくなる。帽子は無理矢理切った連絡回路を修復していてまだ助けてくれそうにない。
「お前は生体兵器だな」
 遠くの方から敵の声。実際は近いのかもしれない。近距離で心臓の音が警告音の如く鳴り響いていて判別がつかない。
 サンプルとして持ち帰らせてもらう、と更に遠くの方から声と銃のカートリッジを入れ換える音が聞こえた。
 簡単に動けないように四肢を拘束するか再起不能にするのが捕虜の鉄則だって軍人が言ってたな、と今いる場所から遠のいてしまった意識が記憶の中をたゆたう。敵に情報が渡れば危険な目に合うのはゆらぎちゃんやそーちゃんだよ、と言う偽壱の言葉も思い出して、せめて逃げなければと思ったがどうにも体が動かない。
 もう駄目かもしれない。
 痛みすら遠のいていく中ぼんやりと右目だけで眼前の砂利を見ていると、
「きおちゃあああああ」
 甲高い声が勢いよく飛び込んできた。少し首を上げると桃色のポンチョから伸びた獣の爪が敵へ振り下ろされていた。
 敵は低い呻きを上げて不意打ちを喰らう。傷は浅いのか深いのか、キオの視点からではよく見えなかったが、よろよろと逃げていった。
「きおちゃん! きおちゃん! ねちゃだめ! おきてて!」
 ミコがばたばたと駆け寄ってくる。キオの体を揺すって右目を開いたままにさせようとするその手は今は普通の人間の手だった。
「おき、てる、大丈夫」
「ふええええ」
 喉に回った血の所為で声が掠れてしまった。それを聞いてつられて涙声になったミコが必死に傷口を舐める。
 ――狼とは傷口を舐めて介抱する動物のひとつである
 帽子がようやく連絡回路を修復出来たようで、つらつらと狼の習性や連携をぶった切ることの危険性や修復の面倒さなどを述べながら痛覚遮断していった。


「敵を仕留められなかったんだって? いやー残念だね〜!」
 上着を顔半分にグルグルと巻きつけ軍人に小脇に抱えられて戻ってきたキオを、偽壱は満面の笑みで出迎えた。
「大怪我?」
「左眼球付近を銃弾で撃ち抜かれたみたいですね」
 偽壱の問いに軍人が答える。偽壱の目が更に輝いた。
「頭部破損は初めてだね、治るのかな?」
 下から覗きこまれて顔へ手を伸ばされると昨日のやりとりが思い出されて、キオは慌てて軍人の腕から抜け出て距離を取った。今下手に近付かれて帽子に「偽壱の前だから」と痛覚遮断を解除されたら、とても困る。
「治す音は、聞こえるから、多分治る」
「やだなぁそんなに怯えないでよ。流石に今回は治療しかしないよ」
 そのやりとりに軍人が眉をひそめる。
「今回は? ……マスター、また何か変なことしたのですか」
「えっ、そんなに変なことはしてないよだいじょーぶだいじょーぶ」
「仮にも戦力ですよ。マスターの都合で失えば国からお咎めがきます」
「やだなあ分かってるよ。ねっ?」
 同意を求められても困る。
 偽壱は訝しむ軍人にキオを治療室まで運ぶよう言ってさっさと歩いて行ってしまった。軍人がため息を吐く。
「マスターが咎められないようお前がしっかりしてくれ」
「しっかりって、どうしたらいい?」
「訊くな。自分で思考しろ」
「うーん」
 また小脇に抱え上げられながら、キオは唸った。考えることが増えていくのに一向に減らない。


 治療と言っても消毒と解熱と輸血くらいしかすることが無い。血管はそれぞれ既に収縮しこれ以上の流血を防いでいるし、常人より修復速度が速いのなら下手に手を加えない方がいい。
「その針以外に輸血って出来ないの? 飲めば良いんじゃないの?」
「そこまで便利には出来てないらしいね。残念でしたー」
 キオは注射針が自分の腕に刺さるのを右目で一瞬だけ確認して目を逸らした。痛覚が有ろうが無かろうが、異物が体内に挿し込まれて抜けないのは、殴られるより切られるよりたちが悪い不快感だと思う。
「……そーたの殺した人、どんな人?」
 針を見ないようにしながら話題を変え気を逸らす。
「その帽子には何もデータないの?」
「わからない」
「そう。……わりとクズだったよ。研究者なんてみんなそんなもんだけど。流行り病のワクチンを作るために住んでた村を親ごと滅ぼしてみたり、軍から研究費を巻き上げるだけ巻き上げて寝返りとか、目的の為なら非人道的なんて単語の存在しない脳。こんなオモチャ作る為に自殺するし」
 クズと罵られる人を元に作られたと思うと微妙な気持ちだ。
 消毒液をまぶされる。もしここで帽子がやる気を無くしたらどれだけ痛いんだろうと考えて、考えないようにした。
「あれは周囲に無関心だった。だから裏切るようなカスを部下に入れてしまう……ところで帽子脱いでくれる? 包帯巻きたいんだけど」
「だ、駄目。無理。あとで自分で巻――」
 キオが言い切る前に偽壱はさっさと帽子をつまみ上げてキオの脇に置いてしまった。
 急に戻ってきた痛覚が左目どころか背骨まで電撃のように走り抜けて、キオは声にならない悲鳴を上げて蹲った。
「ふうん」
 偽壱はにこりと笑って帽子を突付いた。
「便利な情報記憶端末だね」
 慌てて帽子を頭に乗せ直して偽壱を睨む。
「も……もうずっと前から痛み止めが効かないから。そういうこと出来るように改造してもらっただけ」
「誰に?」
「そーた」
「まあそういう事にしといてあげるよ。軍ちゃーん手伝ってー」
「っひ、」
 今度はすぐに取りに行けない程度に遠くまで帽子を放られて、キオは左目を押さえて悶絶する。帽子の所まで駆け寄ろうとしたのを、どこで待機していたのかいつの間にか背後に立っていた軍人にあっさり取り押さえられ、包帯を巻きやすいよう頭を固定された。
「はーい大人しくしてればすぐ終わるからじっとしててねー」
 やたら楽しそうに包帯を巻きつける。
「う、う、なんで楽しそうなの……」
「ボク自分が痛いのは嫌いだけど赤の他人の苦悶の表情とかさいこーに好き」
 キオの背後で軍人が小さくため息を吐いた。

 包帯を粗方巻き終わって帽子を返してもらって、キオはようやく一息ついてベッドの上に倒れ込んだ。軍人はさっさと自室へ帰ってしまってもういない。
「おつかれー。なんかおやつとか食べる?」
「プリン、プリン食べた……あ……あとさっきの、そーたの殺した人のこと、もうちょっと聞きたい」
 今までずっと楽しそうだった気配がくるりと反転した。何か言ってしまっただろうか、とキオは仮面の奥を窺う。
「もう話すことなんてないよ。無関心クズ。それで終わり」
「ないの」
「ないね。もっと人並みに周りを見てくれてたら姉さんが死ぬことなんてなかったのに、まったくどうしてくれるんだろうね?」
「ねえさんって」
 偽壱はにっこりと笑ってキオの顔へ手を伸ばした。帽子を剥がれると思って咄嗟に頭を抱えると、包帯の上から眼球のあった場所を突かれた。
「キミが気にすることじゃないよ」
 偽壱が治療室から消えてから、帽子が尻尾を揺らす。
 ――藪医偽壱はセンバプロジェクト前リーダー藪医イツコの弟である
 ――藪医イツコが死んだのは情報に目が眩んだ裏切り者の所為である
 ――その裏切り者とはキオの素体となった人間の部下である、というのは初耳
「そうだったんだ……なんだか、そーたの大事な人って、……えーと、はた迷惑?」
 帽子は肯定するように神妙に尻尾をくねらせた。

 治療室のドアをくぐると桃色ポンチョが廊下をうろうろしているのを見つけた。
「あっ」
 キオに気付くとぱたぱたと近寄ってきて心配そうに見上げてきた。
「いたい?」
 思わず帽子が痛覚切ってるから痛くない、と返そうとしたところで、帽子から止められたので、とりあえず頷いておいた。
 ミコは右手の平をキオの顔にかざして、
「いたいのいたいの、とんでけー」
 気迫のこもった声で唱えて、かざしていた手をふいと遠くの方へ逸らした。昨日テトもそんな言葉を歌ってた覚えがある。
「なにそれ」
「えっ、いたくなくなるおまじない……き、きかない……の?」
 ミコが驚愕の面持ちで見上げる。帽子からは破損状態に変化なし、と告げられた。ゆらぎの歌みたいな修復ノイズを打ち消すものでもないようだ。
 ――おまじないとは本人が肯定すれば成立するものである
 よくわからない。ミコはまた真剣な表情で手をかざしてはとんでけーと唱えた。
「これでもだめ? もーいっかいがんばってみるね!」
「えっと」
 ひょっとして大丈夫だと返すまで続くのではないだろうか。
「少し痛くなくなった気がする」
 ゆらぎの笑顔を思い出しつつ首を傾けて笑うと、ミコは達成感のこもった笑みを咲かせて喜んだ。
 その笑顔の先に昨日のやりとりが浮かぶ。
 事実を告げたらこの笑顔は無くなる。
 でも記憶を消されて不快感を募らせたキオと同じで、真実を隠されて不快に思うのかもしれない。
 そう考えるとやはり事実を告げるべきだ。お父さんのことも。
「みこみこ」
「はい。きおちゃん」
「あのね、お父さん――」
「おとうさんいたっ? どこ? ケガしてなかった?」
 頬を紅潮させて期待の眼差しを向けるミコ。それをこれから失わせる行為に、先の敵を切る時以上の躊躇いが生じた。
「えっと……ど、こにも、いなかった。……ごめんね」
 結局どうしても告げることが出来ず、嘘を重ねた。


 ゆらぎは自室の中でテーブルに小さいチョコをいくつか並べ、端から一つずつ食べていた。とにかく意味の無いことを片っ端からやるように昔言われたから。
 カップ入りのプリンを二つ抱えてキオが部屋に戻ってくる。顔の左半分が包帯で見えない。
「おかえりなさいキオ。……怪我したんですか?」
「ただいまゆらぎ。左目がなくなった」
「えっ……うう、なんだか私も痛い気分になってきました」
「痛いの?」
 キオはゆらぎの左目に手を当てる。
「いたいのいたいのとんでけー」
「……」
「……」
「……キオ。飛ばす動作をしないとダメなんです。それ」
「あっ、今度はちゃんとやるからもう一回やらせて」
「はい」
「とんでけー」
「飛んでいきましたね」
 キオは満足そうに頷いてプリンをひとつゆらぎにくれた。
「今日はたくさん嘘をついた」
 テーブルについてプリンを食べながらキオは呟く。
「それがキオに必要なことならば、ついてもいいと思いますよ」
 ゆらぎはチョコをプリンに落としながらキオに笑いかける。
「必要なのかな。もうあまりつきたくない。もやもやするから」
「私は嘘なんて言えないのでちょっと羨ましいです」
 キオのプリンにもチョコを落とした。
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