08「それは嫉妬と」

1.

「朝ご飯だー」
 起きてすぐいそいそと食堂へ向かおうとするキオを遮る腕が一本。
「残念なお知らせがあります」
「えっ」
 ゆらぎがキオの前に立ちはだかる。
「本格的な運用へ向けての必要なデータは取れたので、キオと私は先に研究所に戻るよう言われてしまいました」
「そうなんだ、わかった」
「車は用意してあるので今すぐ戻れとのお達しでした」
「ご飯食べるくらい」
「今すぐだそうです」
「どうしても?」
「どうしても」

「昨日言っておいてくれたら夕飯沢山食べたのにー!」
 碧髪の機械人形と赤髪の半機械を乗せ遠ざかる車から悲痛な叫びが漏れる。
「あーそっかあの子たち試験的に来てたんだっけ?」
 車を見送るテトが手を振りながら言う。
「もうちょっと早めに朝ご飯作っときゃ良かったかな」
 その隣でテッドはまだ寝ぼけまなこのミコを抱えながら手を振る。
「……マスター。ひょっとして嫌がらせですか……」
 軍人が呆れて問うと、いつも通り偽壱は笑ってはぐらかした。



 そうして連れ戻されて、ゆらぎはまた昼に歌う生活へ戻る。キオは命令が出るまでは自室待機らしい。軍人が居ないので戦闘訓練も出来ない。研究員たちはあまり関わるなと言われているようで、喋りかけても一言二言で逃げて行ってしまう。あまりにも暇で帽子を壁に向かって投げて遊んでいたら丸一日帽子が返事をしてくれなくなって深刻に困ったりもした。
「喋り方忘れそう」
 ベッドの上に帽子を転がして自分も転がる。
「ゆらぎと長い間喋ってると怒られるし、そーたは見つからないし」
 箱庭に帰ってきてから爽汰を一度も見かけない。
 帽子を頭の上に乗せなおす。よく集中すればなんとなく近くに気配が確認出来るものの、何度探しても目視に至らない。
 桜井の下で働いているのはゆらぎから聞いていた。そこまで赴いてみたが、やはり見当たらない。桜井に尋ねると「貴方の気配を察して逃げました」と返ってくる。
 こうも徹底的に避けられると、探さない方がいいのか、それとも無理矢理捕まえてしまった方がいいのか、キオにはわからない。
 しかも結局爽汰にかけるべき言葉を何も見つけられなかった。
 解ったのは、二度と戻らないものとその原因を許すことの難しさだけだ。
 帽子を頭に乗せたまま寝転んで思考していると、段々と意識が睡眠欲に誘われていく。
 どうせ今日は夕飯以外やることはないので、キオはそのまま寝ることにした。

 そして「夢」を見る。

 今より子供サイズな爽汰が笑っていた。眉間に皺が寄ってないなんて中々貴重な状態だ、とキオはまじまじと眺めた。
 頭を念入りに撫で回してからプラスチックの下敷きを頭上にかざすと、髪が静電気で下敷きめがけて逆立った。ははは海藻みたいーなどと笑いながら下敷きをゆらゆらと動かす。自分では何も見えないのもあって爽汰の機嫌が悪くなってきた。「やめろ」と言われたので素直にやめる。こちらと同じ赤い虹彩が瞬きして満足げに頷いた。
 今と変わらないゆらぎが笑いかける。
 ……いや、違うのかもしれない。今のゆらぎはもっと綺麗に笑う。ここにいるのはキオと同じように覚えたての表情を使うゆらぎだった。
 ぎこちない笑みを徐々に消してこちらをみつめる。
「まだ一緒に歌いたいって、言ってないです」
 ゆらぎが一粒涙を零した。
 爽汰にしたように手を伸ばしてゆらぎの頭を撫でようとする。その手がばらばらと端から解けていく。
 なんでだろう。一緒に歌ったことあるのに。どうして。混乱する気持ちとは裏腹に、一方では、こんな子供にどう説明すれば納得させることができるだろうかと苦笑し困り果て、満足していた。私の作ったものはちゃんと自分で考えることが出来る。
「どうしていなくなっちゃうんですか、マスター……」
 こちらをみつめたまま、ゆらぎが小さく呟いた。


 ゆっくりと目を覚ます。
 伸ばした手は崩れてなどおらず、きちんと生えていた。その手で左目の眼帯を触る。まだ完全になおってはいないようだ。
 手があって目が無いのはこの体がキオだからで、この体はゆらぎのマスターではない。
 でも今の夢は……今の記憶はキオのものではない。
「……ねえ、ゆらぎのマスターって、キオというものの素体になった人間なの……?」
 帽子は少しの間無言だったが、尻尾を一度揺らした。
 今までのゆらぎを思い出し、合点がいった。一緒に歌った時ゆらぎが謝ったのは、マスターの代わりにしてしまってごめんなさい、ということだ。
 それに気付いてしまうと、今までのゆらぎの言動が全てマスターに向けられていたんじゃないかという疑心暗鬼に襲われる。襲われるも何も、揺るぎなく事実かもしれない。
 確認してみようと部屋を出て、
「……」
 もし本当に「マスターの代わりとしてしか見てないですよ」と返されたらどうしたらいいのだろうというよく分からない不安に襲われた。
 帽子は答えをくれない。
 爽汰は爽汰の大事な人を殺したキオとしてこちらを見るだろうか。見てくれなかった場合はどうしたら。中庭まで出て縋るように辺りを見回すが、案の定爽汰は居ないしゆらぎも歌う時間ではない。誰もいない状況に安堵を感じて困惑した。
「……よくわからない……なんなんだろう……」
 言葉を吐いても外に出たがらない感情を持て余し、キオは箱庭の外側へ走り出した。


 脱走する気はない。今会いに行き辛いとしてもこのまま二人に二度と会えなくなるのは寂しい。すぐに研究員に捕まって連れ戻されても構わない。ただ少しの間だけ、思い切り早くこの感情の原因たちから遠ざかってみたかった。
 どうせ脱走しまくっていた最初の頃のようにある一定のラインを越えた途端警報が鳴る、と思いきや、今回は何故か鳴らなかった。キオは首を傾げる。まさか偽壱が戦地に行く時に切った設定を直しそびれているのだろうか。帽子に何かやったのかと問えば「今回は関与していない」と答える。
 考えても解らないので、この際少し遠くまで森の中を歩いてみることにした。町まで出てみたかったが、脱走した時の騒ぎをまだ住民が覚えているからよくない、と帽子に止められた。

 森を掻き分けて進むとやがて小さな湖が見えた。立ち並ぶ木々が多くて風も侵入してこないその水面は、ひたすら沈黙に耐えていた。
 魚はいたりしないのだろうか。キオはしゃがんで湖の中を覗き込む。何かしらはいるであろう気配はするものの、水面に映った自分しか見えない。
「……」
 自分。この赤髪の上によくわからない黒い物体を乗せ、細い輪郭をぼんやりと水面に近付けるこれは本当に「自分」なのだろうか。
「……みんなキオというものを、鏡にして、別の誰かを見ている」
 湖面を見ながら見つけた答えを静かに呟いた。
 その答えは開いたことのない扉を開く鍵のようで、声に出してかちりとはめてしまうと今まで見えなかった遠くを鮮明に見渡せるようになった。
 自分が曖昧な器は何かしらの面影を投影しやすい。もしゆらぎのマスターと何の関わりがなくとも、きっとゆらぎは面影を投影して見ていたと思う。偽壱も恐らくキオを軍人に見立てて苛めているのだ。同じ半機械だから。それ以上の理由を上手く言語にして繋ぎあげることは出来なかったが、直感は確信していた。
 ――だからどうしたというのか
 帽子がふとそんな問いをかけてくる。
「少しいやだ」
 ――何故
「だって、……だって、このキオというものはキオのものなんだから、こっちを見て違うものを見ないでほしい。ちゃんとキオというものを見て」
 ――お前がキオというものでありキオであるという保証はどこにあるのか
「……」
 皆がこちらを見て「キオ」と呼ぶから。それくらいしか咄嗟に思いつかなかった。
 ――お前はセンバプロジェクトから枝分かれした実験の一つであり、お前はただの肉と機械のキメラであり、お前は松田爽汰やゆらぎの大切な人を犠牲に生まれたものであり
「じゃあどこにもキオというものは無いの」
 ――そう思う感情というものの由来こそ自身である
「それは……本来ならば……って続くんじゃないの……?」
 帽子は答えない。
 キオは知っている。たまに帽子の感情なのか自身の感情なのか曖昧なものが訪れる。
 先の夢であったり、ミコの父親を爽汰のしたように切った時であったり、「懐古」であったり、それがキオの肉体になったものの記憶だとしたら、今感じている不快と悲しみと焦燥の入り混じった感情もその人間の記憶なのかもしれない。
 水面ではキオと同じキオが見つめてくる。こいつも結局キオを見てはいない。手で水面を揺らし見えなくしておいた。
 ――ひとつ可能な回答 今のその感情は嫉妬というものである
「……嫉妬」
 声に出してみるとなんともよくない響きが耳に届いた。
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