10「終わらない自由を」

1.

 キオと爽汰は箱庭から少し離れた森の中で、断続的に響く崩壊の音を聞いていた。
「当たり前だけどみんな避難しててどこもかしこも無人なの笑ったな。お前が脱走した時もさ、多分その帽子が何かやったんだろうけど無人みたいな感じで、お化け屋敷? みたいなことになってたんだよ。……そういや腹減ったな、町でなんか食うか。肉まん食いたいな」
 あえて日常へ思考を馳せている爽汰の横で、キオはじっと管理棟の方を見つめる。
 ――提案 記憶の消
「それは駄目」
 キオは食い入るように見つめたまま呟く。
「何でだよ俺が何食おうが勝手だろ」
「そーたに言ったんじゃない」
「えっ、ああ、帽子か……」
 爽汰は何か別の話を切り出そうとして、結局勢いを削がれて特に何も浮かばなくなったようで口を噤んでしまった。キオと同じように箱庭の方角を見やる。
 森の隙間から湧く幾筋かの煙が控えめに状況を説明している。細くごく静かに空に昇っていくものだから、その下に居る元凶に同調したのかもしれない、と純粋に思った。
 戻りもせず行きもせずただ留まって崩壊の音を聞くキオに、爽汰は聞こえるようわざとらしくため息を吐いた。
「五分だけ貸してやる」
 両腕を軽く広げてみせる。
 意味が解らずキオが爽汰を見上げると、目を瞬かせた後何故か照れた。
「泣く胸くらい貸すっつってんだよ髪の毛一束分は俺が悪いんだってわざわざ説明させるなおい空気の読み方説明してやれ帽子」
「そーたがそういう風にするのなんか変」
「俺にだって善意くらいあるっつってんだろ! いいから黙って泣いとけよ!」
「……帽子といいそーたといい、その善意はどこから出てくるの? 誰に向かって言ってる?」
「お前以外に何がいるんだ」
 目も逸らさず間髪入れず爽汰が返す。今度はキオが目を瞬かせた。
「あの人には善意なんか要らない。殺す気で向かってまじで殺してやるくらいが丁度良かったんだ」
 爽汰は昔の記憶を辿っているようで苦い顔で吐き捨てた。
「でも、だからってオレに善意を向ける意味が解らない。あてつけ?」
「……どこでそういう言葉覚えてくるんだ」
「どこでって、その人の記憶からだいぶ」
「ああ……」
 爽汰は多分に諦めの入ったため息混じりで納得した。それから、
「……っていうか、いい加減空気を! 読め! 両腕の置き場が無くて疲れんだろ!」
 強めた語気に合わせて宙に浮いたままの両腕を揺らした。
 キオはまじまじと両腕とその間の細い体を眺める。
 どうしたらいいんだろう、ゆらぎを捕まえた時のようにしがみついておけばいいんだろうか。
 脳裏ではそれで大体合ってると帽子の答えが浮かんだ。
「じゃあ」
「お、おう」
 触れた瞬間爽汰が妙に緊張したのが可笑しかった。その気配を察した両腕が乱暴に背中を叩いてから、その場に留まった。
 爽汰はゆらぎよりも堅かった。完全生身の人間の方が堅いなんて、ゆらぎは人間の女の子を忠実に模したから当然なのだろうけど、いやしかしこれがダメージを与えようと思うと断然ゆらぎの方が堅くて歯が立たないのだろう、爽汰の方が危うい堅さをしている、と回した腕に少し力を入れて思った。
 あの暑い部屋の中でゆらぎは昼の中庭の匂いしかしなかったのに、こちらは少し汗臭いし、ゆらぎは常に鼓動を乱さなかったのに爽汰ときたら一々、そもそもゆらぎは、
 ゆらぎは、
「ゆらぎ……」
 名前を呟いた途端、強烈な感情が込み上げてきた。
 歯を食いしばっても爽汰の服を握りしめても収まりそうになかった。このままだと引っ張りすぎて服を破いてしまうかもしれないと頭の隅で考えて離れようとしたが、軽く押さえられた背中をどう頑張っても後退させることが出来なかった。
「……もういいよ、離れる」
 一層強く服を握りしめて呻く。
「よかないだろ。別に離れたいならいいけど。手離して向こうで一人で泣け」
「離せない」
「じゃあやっぱりよかないんだろ」
「どうしたら」
「全部吐き出せばいいだけだろ。……吐き出さなかった結果が俺なんだから」
 ぼそぼそと声に一抹の後悔を滲ませて爽汰は呟く。
 気付いてしまった。爽汰の服を掴むキオの手と、キオの背を押さえる爽汰の手は、同じ温度でお互いを押さえつけている。
「……どうして」
 ほとんど呼気だけが漏れた。それだけでは足りない。
「どうして、わかりたくない、一緒に歌わなきゃよかった、なんで……っ」
 感情を嗚咽と共に絞り出す。どうしてしか言ってない気がする。けれど「どうして」しか浮かばない。どうしてこうなったのか、どうしたら良かったのか、どうしてもこうなってしまう他なかったのか、どうして……
 爽汰がぎこちなく両腕に力を込める。
「もっと一緒に居たかったのに、なんでなんだよ……!」
 押されて吐き出す他ない感情で爽汰の服を濡らしながら、キオはしばらくの間爽汰にしがみついていた。
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