08「それは嫉妬と」

3.

 轟音が静けさに耐えていた湖を震わせる。
「今の何?」
 キオは立ち上がり音のした方へ振り返る。帽子は位置情報的に管理棟からの音だと言う。
「あんな音、帽子がそーたのデスクあった場所吹っ飛ばした時しか聞いたことない」
 キオは胸騒ぎに押されて走り出した。


 研究所まで戻ると何人もの白衣が慌ただしく動いている。
「何があったの?」
 眼鏡の白衣を捕まえて訊ねる。
「わからない。大きな音がしたと思ったら全域停電でどこかしこもパニックだよ」
「電子ロックも動かなくて管理棟入れないぞー!」
「中のやつらは何してるんだ」
 数人の白衣が管理棟へ走っていく。キオも追いかけた。


「何か……焦げ臭くないか……?」
 管理棟地下の扉の前まで来た一人が不安そうに呟く。確かに、ともう二人ほどの研究員も同意した。
 顔を見合わせていると扉の向こうからがんがんと乱暴に扉を叩く音がする。
「開けてくれー! 下の階で爆発が!」
「爆発って……!」
 全員が必死に扉を手動で開けようとするがびくともしない。
「君壊せない?」
 眼鏡の白衣がキオに尋ねる。
「いけるかなあ」
 強度を確かめようとキオはドアを軽くノックする。
 ――開閉履歴に松田爽汰の認識カード
「えっ」
 帽子がキオの触れたドアから淡々と情報を読み上げる。
 ――退出記録なし 防犯カメラの映像に松田爽汰とkioプロジェクト試作品通称「ゆらぎ」の姿を確認
「ここに居るの? 何で?……っていうか、情報読むついでに開けたりとか出来ないの?」
 ――高度な暗号により介入拒否 物理破壊は火薬等による弱体化が前提
「……えっと、火薬である程度弱らせれば壊せるって」
 研究員の方へ向き直り言う。
「プラスチック爆弾でいい?」
 赤ネクタイの白衣がポケットから携帯食料の箱を出した。中から粘土状の爆薬を取り出す。
「お前何危ない持ち方してるんだよ!」
「いや生身で持ち歩くのもどうかと思ってつい」
「何でもいいから早くー!」
 ドアの向こうから切羽詰まった声。
「じゃあ点火するんで皆さん退避お願いしまーす」
 赤ネクタイの白衣はドアに爆薬を貼り付け、ライターで雷管に点火する。ほどなくして通路中に爆音が響いてドアが少し焦げた。
「早くしてくれー!」
「じゃあ、ドア殴るね」
 帽子の連携をフル稼働し助走からの打撃をピンポイントで脆い部分へ与える。がつんと振動が骨まで響いた。少しひしゃげたけれどまだ施錠部分は壁と繋がっている。こんな堅いもの殴るのは初めてかもしれない。手をさすりながらもう一度殴った。
「骨折れる」
 ――二重の意味で
「そこをなんとか! 煙が来てる! 早く!」
 キオは今度は逆の腕を振りかぶった。衝撃と共にばきりと嫌な音がして肝を冷やしたが、どうやら折れたのは施錠の方らしい。
 腕の痺れを振って紛らわせてるうちに研究員たちがなんとかドアをこじ開ける。
 煙と焦げた匂いと研究員数名が新鮮な空気を求めて飛び出してくる。
「助かったー! 今度何かお礼するね!」
 おかっぱの研究員がキオの頭を軽く叩いて、キオと一緒にいた研究員たちの肩を叩いて、駆け足で出口へ向かっていった。
「階下で爆発ってことは動力炉か……スプリンクラー作動してるといいけど」
「とりあえず逃げようぜもう。ここやばいって。ほら君も」
「うん」
 返事もそぞろにキオは通路の先を覗き込む。研究員たちがばたばたと走って逃げていくその中に、爽汰もゆらぎもいなかった。
「そーたー! ゆらぎー?」
 全く返事が無いし気配も無い。
「本当にここ居るの?」
 ――機械は嘘を吐かない
 帽子は管理棟の地図と説明を脳裏に広げた。階下の動力炉が最悪の形で爆発すればこの研究所の敷地全体に被害が及ぶらしい。まだここに居るのなら早く非難しないと危険だ。
 キオはドアの先へ進んだ。

 下へ行けば行くほど煙と熱が増えていく。三階まで降りる頃には軽く汗が流れるほど室温が高くなっていた。スプリンクラーは残念ながら作動していないようだ。
 部屋を見渡して、ふと自分の立つ階段の側に懐かしい水色髪を見つけた。
「そーた、何してるの」
 爽汰はよくわからないコード類で両手両足首を縛られていた。
「見りゃわかんだろ」
 キオの方を見ずにぶっきらぼうに吐き捨てる。
 確かに見れば逃げないようにされているのは解るが、問題は誰がやったのかと言うことだ。
「やっぱり来てくれたんですね。待ってました」
 煙と火で赤い部屋に、場違いに涼やかな声が浮かび上がる。
 散々聞き慣れた声の持ち主はスクリーンとパネルがそびえる部屋の奥で、熱風に碧の髪を煽られながら、花が咲いた様に笑っていた。
「……ゆらぎ」
 同じように笑い返すには不自然な点が多すぎて、キオはとうとう笑えなかった。
「はじめに、これは私の意志で引き起こした取り返しのつかない事件であることをお詫びしてお伝えします」
「……何でこんなことしてるの」
「マスターの命令で被害を最小限に留める努力をする事もお伝えしておきます」
「ゆらぎ」
「以上をふまえてお答えいただけると嬉しいです。……"あなた"は、誰ですか?」
 最後の一言に滲む切々とした感情に、キオは悲しくなった。
「ゆらぎ、ここ危ないから早く逃げよう」
「それは命令ですか?」
 キオは首を横に振った。無理矢理外に連れていくつもりでゆらぎに近付く。ゆらぎは困ったように笑って息を吸い込んだ。
 ゆらぎの口から一度も聞いたことの無いメロディーが紡がれる。
 それが聴覚を通して脳に届いた途端に、キオを立っていられない程の頭痛が襲った。しばらく歌ってキオを床に蹲らせてから、ゆらぎはぽつりと種明かしをした。
「……首の後ろにバーコードみたいなものがあるの知ってました? 金属が集中してるみたいです。こないだ、そこから介入して特定のフレーズで動けなくなるように細工しちゃいました」
 ゆらぎがわざわざ戦地に同行した理由の一つがこれだった。
「どうしましょう。私は命令でしか止まらないみたいですよ」
 急かすように地面の底から小さな爆発音と揺れが轟く。それでもキオは首を横に振るしかない。
「では、"あなた"はキオなんですか? 確かにキオだって、言えますか?」
 痛い所を突かれて何も返せない。そうであると言いたいのに確証がどこにもなかった。ゆらぎに向かう感情が自分の意思なのか他人の親心なのか解らない。
「……あとちょっとの間だけ、マスターの存在を待ってみますね」
 また新しいフレーズを口ずさみながら、ゆらぎは近くの吹き抜けから動力炉のある階下へ飛び込んでしまう。
 自身を脅かす存在の来訪に動力炉が唸った。
inserted by FC2 system