09「可能性を切り捨てた」

2.

 さして広くも無い空間に金属が大蛇のようにうねりひしめいていた。キオと少しの距離を置 いてゆらぎが立っている。
「松田さんには選ばせるのに、"お姉ちゃん"には選ばせてくれないんですね」
 拗ねる口調で言う。
「ごめん。マスターはずっと前に死んだから、だから私……じゃなくて、」
 一人称を「私」にすると呑まれてしまいそうだった。しかし「僕」は偽壱と同じで、それは それでなんとなく許せないものがある。
「……オレは、キオ」
 結局爽汰に倣ってしまった。
「ちょっと似合わない気がします」
「そーたにも言われた」
 キオは辺りを見回す。大きな心臓と血管。それが循環を断ち切られているのに過剰に働かされて、火を噴いている。苦しそうだ、と思った。
「……自律思考型の人形は規則に縛られている。マスターを守ることもその内の一つです」
 ゆらぎもそれらを見上げながら自分の胸元に手を当てぽつぽつと語る。
「あなたに一緒に歌ってもらって、その時……マスターが一部でも存在すると知ってしまった時から、私の中で警告音が鳴ったのです」
「警告?」
「キオを消して、キオの中に眠るマスターを守らないといけない、という脅迫概念が灯りました」
「だからって、何でここまで……」
「ここまでしないと、自分の存在なんて塗り替えられないでしょう?」
 ゆらぎは陽炎の先で苦笑した。
「でも、これは同時にあなたの中にいるマスターを危険に晒してもいるわけです」
「うん? うん」
「人形の規則には"マスターに危害を加えてはならない"というものもあります」
「えっと、……つまり……じゃあ、危害を加えられているオレはマスターじゃないってことでいいんじゃないの……?」
「ところが"マスターに危害を及ぼすものを排除しなければならない"というものもありまして、その規則だけ見れば、今のこの状況はマスターを消そうとしてるキオを排除している、ということになるわけです」
「ごめんもう何言ってるのかわからない」
「私が矛盾の中で綱渡りしているとだけ解ってもらえれば大丈夫です」
「わかった」
「あと、動力炉の操作を私の心臓と繋いであります。マスターが来てくれるか私が壊れないと、このままじゃ管理棟どころか研究所一帯が吹き飛んでしまうということも解っていただけると」
 あっさりと告げられる。キオは致命的なものを聞いてしまった気がして、わかったと頷けなかった。
 よく反芻してそれはつまり、ゆらぎが動力炉を鎮めないなら皆死ぬし、それが嫌ならゆらぎのマスターとして生きるかゆらぎを壊せということじゃないのか、という思考を得る。
 それでも今まで「絶望的」という状況に落とされたことの無いキオは、ゆらぎを連れ帰る事を諦めない。
「……動力炉鎮めてあげてよ。それで早く外に行こう」
「マスターが来るまでは行けません」
「だからマスターは」
「私は信じてます」
 大きな爆発が起きた。爆風はキオとゆらぎを軽く吹き飛ばし、部屋全体を大きく揺さぶる。火の粉が舞って天井が剥がれ落ちてきた。
 どちらにしろ管理棟はもうすぐ崩壊してしまうのだろう。取り敢えず連れ出してからゆらぎの納得出来る案を帽子に考えさせよう。キオはゆらぎに駆け寄った。
 近寄らせまいとゆらぎが口を開く。それよりも少しキオの方が早かった。ゆらぎの口を右手で塞ぐ。
 そのまま抱きかかえて連れ帰るつもりで吹き抜けの方へ意識を逸らす。うっかり飛び降りてしまったが昇る場所はあるだろうか。階段は無かったが梯子がかかっている。
 と、急に右腕に衝撃が走った。
 ゆらぎが天井から落ちてきた頭ほどの大きさの鉄片を振り下ろしてキオの二の腕を落とそうとしている。機械だからこその無慈悲な力で皮と筋肉を絶っていく。迷いの無い攻撃にキオは畏怖した。このままでは右腕が取れる。しかし手を離してゆらぎに歌わせるわけにはいかない。やむを得ず左手でゆらぎの肘関節を折った。
 筋繊維は刹那の逡巡のせいでだいぶ切れてしまった。上手く指先まで力が伝導しない。唇と手の平の間にほんの少し空間が出来た。
「あ」
 歌える。歌わせるわけにはいかない。歌になる前に声を止める手っ取り早い方法は喉を捻り潰すことだ。戦地で効率の良い無力化を覚えた左手が口を塞ぐなんて生温い思考を上書きしてゆらぎの首を掴む。人間と変わらない感触。力を加えて、
 ……なんでゆらぎにこんなことしてるんだろう。
 喉を潰すことが出来なかった。
 滑らかに響く歌声に動けなくなったキオをゆらぎは押し倒す。
「私は可能性を信じてます」
 ゆらぎが動く方の手で鉄片を拾い上げ静かに言う。
「例えば松田さんと同じようにあなたを切ったら、あなたは戻ってくるかもしれないとか」
 同じように。キオはまさかと思った。温厚なゆらぎがそんなこと。
「も、どってこない……ゆらぎのマスターは、もういない」
 キオの腕の傷口に生温かい鉄片が触れ、じくじくと入り込んでくる。本気だ。
「あなたから最初に頂いた歌を歌い続ければあなたは戻ってくるとか」
「戻らない……っ」
「それは、どうしてですか?」
「そーたがキオだって言ったから……!」
「お互い様ですけど強情ですね……」
 とうとうぱきりと骨の折れた音が体内に広がった。全身に走った痛みをバネ代わりにしてキオはノイズにやられた体を無理矢理起こす。
 ……ゆらぎは躊躇わない。犠牲を厭わず確たる意志で動いている。そのゆらぎを止めるにはキオも躊躇ってはいけないのだ。
 ゆらぎの手から鉄片を奪って喉を裂いた。血は流れない。ゆらぎは顔色一つ変えない。
 歌う為には喉の穴を塞がなければいけない。ゆらぎは後ろに下がる。キオはよろけながらそれを追う。
「帰ろうよ」
 視界に映る細かいものがノイズなのか火の粉なのか判別がつかない。ただ邪魔なそれらの向こう側でゆらぎが首を横に振ったのだけはっきりと見えてしまった。
「どうして……」
 ゆらぎの手が喉元の穴を押さえようとする。肘関節めがけて鉄片を投げつけ遮った。ゆらぎの腕が飛ぶ。
 喉を直す手段はまだある。ゆらぎの視線が動力炉から漏れる火に向く。ただぶら下がるだけの荷物となっていた残りの腕を迷わず火に突っ込んだ。
 キオが驚いている間にゆらぎの腕の皮膚素材は溶けていく。それを首に落として穴を塞げば溶接完了だ。
「……でもやっぱりこれ以上は溶かせないんですね……」
 ゆらぎはぼそりと呟く。
「ゆらぎ……!」
 痛々しくて見ていられなかった。
「もう外に行こうよ、規則とかわからない、無視しちゃえばいいのにどうして――」
「無視出来たらここまでしなかったのですけどね……」
 キオが近寄ろうとするとゆらぎは歌う前の予備動作として息を吸い、牽制する。
「……私にとって警告音とは、福音でもあったのです」
「わかんないよ、帰って、もっとわかるように教えて」
「嘘でもマスターだと言ってみてはいかがですか? 私騙されて一緒に帰っちゃうかも」
「ゆらぎ!」
 こんな状況で冗談を言われても不満しか募らない。キオは少し叱る口調でゆらぎを呼んだ。
「そんな顔しないでください。これで最後にします。あなたは――」
「他の何者でもないキオだってば……!」
「勝てないなあ」
 ゆらぎは困ったように笑った。


 ぽつりと上から何かが滴ってきた。
 とうとう天井が溶けたのかと思いきや、それは無色透明の水滴だった。瞬く間に量が増えていき、雨のように降り注ぐ。
 ゆらぎも意図していなかったようで不思議そうに見上げる。
 雨は動力炉と邂逅して瞬時に蒸発し、濃い霧を生み出した。赤から一転、音だけの白い世界になる。
 視覚情報に頼るゆらぎには何も見えない。しかし五感を持つキオには見える。
 キオは飛び込んだ。


 寄りかかるものがそれ以上の動作を出来なくて途方に暮れている。
 今の今まで自分の腕が片方落とされていたのを忘れていて、ゆらぎを抱えていけない事に気付かなかったみたいだ。
 そして気付いてしまった。
 ゆらぎは胸元で固まるキオの頭を撫でようとして、自分も手が無い事に思い当たった。仕方なく手の代わりに頬を乗せる。
「どうしよう、どうやって連れて行けばいい? 帽子被ってくればよかった、何も考えてなかった」
「例え手が残っていても、私は帰りませんよ」
「マスターがいないから?」
「いいえ」
 ゆらぎは糸が切れたように表情を緩めた。
 理解しようがないキオが寄りかかったままゆらぎを見上げる。
「機械人形の規則に"自己をまもらなければならない"というものがありまして、私は自分で自分を壊すことが出来ないのです」
「それが、何……?」
「それが回答です」
「わかんない……」
 誰かが梯子を伝う音がする。
「あ、居た」
 幾らか薄くなった霧の中、足音とやる気のない声を伴って現れたのは爽汰だった。
「そーた? 何でまだここにいるの?」
「俺だって好きこのんでこんなあぶねー所に残ってねえよ」
 腕の無いゆらぎとキオを見て一瞬硬直したが、気を取り直して近付いてくる。
「ひょっとしてこのスプリンクラーを作動させたのは松田さんですか?」
「いやまあ、俺というか帽子というか……」
 爽汰は持っていた帽子をキオの頭に乗せる。
「前管理棟のデータ弄ったとか言ってたし、動力炉くらい止められんじゃないかと思って働かせてみた。動力炉は操作権が完全に乗っ取られてて動かせなかったけど、まあ水で冷えれば脱出時間くらいは稼げるだろってな」
 言いながら爽汰は顔をしかめて手首をさすっている。ゆらぎが固く縛ったコードを無理矢理千切ったのだろうか。少し申し訳ない気持ちになった。
「で、話はついたのか」
「つかない」「まだですね」
「なんでだよ……」
 爽汰がため息を吐いた。
「ゆらぎはマスターが居ても居なくてもここに残るんだって。でもオレは一緒に帰りたい」
 キオの言葉に爽汰が訝しげにゆらぎを見つめる。
 ゆらぎはキオの上に乗っている帽子へ視線を送った。帽子は一度尻尾を揺らした。
 戦地に行っている間、ゆらぎはキオの帽子にも介入を試みたことがある。そしてそれがただの機械ではなく、マスターの残骸とマスターの思考を模倣したAIを備えた存在であるとその時初めて知った。
 そんなものをマスターがひっそりと作り、それを己が何者かもよく解っていないような子が頭に乗せて歩いていると知った時、ゆらぎは胸中に様々な種類の良くない感情が湧くのを感じた。感情の名前まで特定してしまうと逃れられない予感がしたのでそこで思考と介入をやめて、結局帽子には何もしていない。
「覚えていますか? 機械は決して他人に自分勝手な要求することが出来ない、と言った上で、キオに自分勝手なお願いを通したこと」
 キオがぴくりと震えて頭上の帽子を押さえ、それから愕然とゆらぎを見た。
 帽子は独自のAIで勝手にゆらぎの視線に応え、今頃キオの得た情報を読んで、ゆらぎがどうしたいかをキオに説明しているのだろう。マスターは速やかな解決を前に心情の考慮などしない人だった。キオはいやいやと首を振った。
「キオの試作品である私は、キオにだけ、ほんの少し規則を無視して接することが出来ました」
「知らない、覚えてないから」
「それを踏まえて、もう一度だけお願いします」
「言わないでゆらぎ」
 か細く響く声を無視してゆらぎは告げる。
「――私は、マスターの所にいきたいんです」
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